夕食を半分食べた頃、土が渇いた植木鉢が目に入って、巡って水をやっていた。

ねむの木まできたら、
いくつかの枝の先端にまだ、茶色の、鹿の角が出る前の柔らかい丸みを帯びたふくらみに似た、それが、まだ出てきているのを見た。もう秋よ?どうしたんだろう?
夜だから、細かい葉たちは、もうぴったり閉じている。
木は透け透けだ。

枝を辿って見上げると、そこに、それはいた。


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どうして?まだ?



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不意に、せつなくなる。
もう、いいんじゃない?



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ひとりで?
ねぇ?どうして?



KIMG1908カット


そんなにまでして、どうして生き切るのでしょう?


あまりにも、
きれいで


完全な、完璧なスフィアを作って
そこで静かに微笑むひと

泣きたくなる。


どうしていいか分からなくなる。


なにも、これ以上してやれないじぶんが無力で、
どうしていいか
分からないから、
たどたどしくほほにふれて、
そして、見つめてる。



280814092016追記

朝、眼が覚めたら、タイトルがあった。何を感じてたか認識した。
タイトルを替えて、シャワーを浴びたら、何をしたかったのか認識した。
そしたら、
ねむの木は、ただのねむの木になった。
もうねむの木に重ね合わせなくてよくなった。
おはようございます♪


130914092016付記

トイレ掃除をしてたら、そういえば、昨日の夜は、
なんか月ぶりかで、フェナカイトを持って寝たんだったと思い出した。
たくさんの具体的な夢を見た。別のことで長いこと理由がよく分からなかったことも、夢の終わりで、なんだ、そっか、と分かったことを思い出した。
フェナカイトは、やっぱり認知を手伝ってくれる石なのかなと思う。
というか認知したかったから、フェナカイトに触れたくなったのかも知れない。